危うい日本語
激しく違和感を感じることがある。
言葉使いもさることながら、
イントネーションもリズムも、
かつて“普通”だったはずのそれとは違う。
日本自体の未来がすでに絶望的だけれど、
背負って立つヒトたちの日本語もひどく心配だ。
30代、40代の女性にも、日本語の崩壊を感じる。
「おいしい」と言わずに「うめぇ」という。
「すごい」じゃなくて「すげえ」だし、
「やばい」じゃなくて「やべえ」だ。
「やばい」も「うまい」も、本来は女子が
使うべき言葉じゃないけれど
100歩譲ってこのザマだ。
母親が小さな子どもに「喰っちゃえ」と言っているのを
目の当たりにしたこともある。
この国には、言葉遣いの男女の分けはもうなくなったらしい。
かつて、こういった言葉を使う人種は
“育ちが悪い”と言われた。
品のない家庭に育ったから親が悪いのよと
片付けられることが多かった。
でも今は違う。
サラリーマン中流家庭に育った女子でも、
「くせぇ」だの「だりぃ」だの言う。
世の中の言葉もおかしい。
美しく詰め合わせたケーキの箱の中をみせながら
「こちらでよろしかったでしょうか?」と言うのも、
化粧品の使い方を説明しながら
「たっぷりとお肌に塗ってあげてください」というのも、
もう聞き流すことができてしまっているけれど、
昔はそんな言い方はしなかった。
言葉だけじゃなくコミュニケーションもおかしい。
予約を入れたくて飲食店に電話をすると
「えーっと、その時間は混み合っておりましてぇ…」と無言になる。
入れるのか入れないのか、結論を言わない。
このパターンは最近非常に多くて、
ワタシは、「で?」と言わないとならない。
そしてマスコミもおかしい。
朝活とか婚活とか終活とか、
モラハラとかパワハラとかマタハラとか、
オクメンとかイクメンとかヌクメンとか。
ひとつの言葉が生まれると、
バリエーション替えを次々とたたき出す。
定義を知れば、コミュニケーションするのが
ラクなこともあるだろうけど、
この流れにうっかり付いていっていないと
正直、なにいっちゃってんだかわかりゃしない。
日本語ほど奥が深くてたおやかな言葉はないと思うんだけれど、
この朽ち果てようを止める術は果たしてあるのか。
そんなふうだから…と振るのは甚だ乱暴に過ぎるんだけれど、
昨日行った虎ノ門ヒルズの糖朝の接客は上質で、
出迎えから会計まで久方ぶりに心地よく過ごせた。
言葉遣いにも気配りにも、日本が世界に誇ることのできる
ホスピタリティがちゃんとある。
ヒルズに入る店なりのクオリティがあるのは当然とはいえ、
あるところにはあるねと、少しだけ安心したのだった。
他のお店含め、ランチタイムなら1000円前後で
ゆったりいただける虎ノ門ヒルズの飲食店。
なぜか露出度の高いオネーさん方が多いのが不思議。
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囚われない
オイラは表面的な言葉に囚われないようにと思っています。
もちろん、日本語の美しさは大事な事だとは思っていますよ。
でも、大事なのは表面的な言葉よりもその奥にある心を表現する事だと思うし、それを受け取る事だと思っています。
ちなみに、オイラは本名が 聡 という名前なんですが・・・
この漢字を分解すると、耳 と 公 と心 になります。
だから、心の声を公平に聴く という意味と思っています。
それと、ネット上では オイラ と表記しますが・・・
もちろん、子供の頃から俺 というのが普通でした。
でも、私とかワタクシとか上品な言葉は接客中は使っても、普段使うには気取っている感じがして落ち着きません(笑)
そこでオイラという感じがピッタリな感じがして使っています。
まあ、生まれ育った川口という街は東京の下町に近い工場街なので、文化や言葉も下町に近い物があります。
そういえば、森本レオがNHKに出る時に俺っていうと問題が起きるので芸名を森本オレにしようと思ったけど、それじゃやりすぎだからレオっていう芸名にしたという話を思い出しました。
下町で育った男の子たちは普通に俺って言葉を使うのに・・・
文化圏が違うと乱暴に感じる人も多いんだと思いますね。
それこそ、前の嫁が実家の秋田に電話した時に・・・
『もしもし、オラだ!』と言った時は腹がよじれる程に笑いそうになりました。
まさか、普段は私と言っている20歳の小娘がオラと言うとは想像もしていなかったものでね。
でも、秋田ではそれが普通の文化だという事を知りました。
それと、専門学校の時に同級生から『自分はどうなん?』と訊かれた時に・・・
最初は??? だったんですよ。
関東圏の人間としか交流がなかったので、自分と言うのはMeの事であってYouの事では無いというのが普通だからです。
相手の事を自分と言うのは西の文化みたいですね。
それと、北海道ツーリングの時に大和民族が入植という古い文章を見て・・・
日本人とひとまとめにしている現在ではあるけれど、大和民族とアイヌ民族と琉球民族だったりしますよね。
そんな事に歴史や地域性を感じたりしました。
日本人を単一民族だと思っていた自分の認識の甘さを思い知りました。
だから、違う文化も受け入れて行く必要性も感じてしまいます。
最近はテレビでも『目線』という言葉が普通に使われたり・・・
『一生懸命』という言葉が普通に使われたりしてますが、やはり違和感は感じるんですよね。
本来なら『視線』と『一所懸命』が正しい日本語の使われ方ですよね。
あるテレビ番組で言語学者の先生が『言葉というのは時代によって変化して行く物だ』と言っていました。
なるほど が なるほぞ になり なるへそ と使う人が出てきたように。
先日、上品な感じの年配夫婦を乗せた時に・・・
奥さんが『まっつぐ!』という言葉を使いました。
雰囲気や会話の内容から上品な育ちだとは思うんですが・・・
おそらくチャキチャキの江戸っこなのでしょう。
最近は江戸言葉を使う人も減っているので、なんだか素敵に思えました。
確かに日本語の乱れは気になるところではありますが・・・
古い文化や地域性を大切にしつつ、新しい文化を受け入れて行く必要があるのかもしれませんね。
| ラスカル | 2014/08/14 12:13 | URL | >> EDIT