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なおねおなおん -naoneonaon-

いつか振り返る日のためのワタシメモ

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17歳のカレとワタシ 「★つ・ぶ・や・き★(1280059)」

父の転勤について福岡から札幌へ転居して、
その後再びの異動で名古屋へ移ったのが高校3年になる
春だった。


札幌で私が通っていたのは
衆議院議員の杉浦大蔵や、『水曜どうでしょう』の大泉洋、
MONKEY MAJIKのDICKなんかを輩出した札幌市立藻岩高校。
真駒内スケート場にほど近く、広々とした環境に恵まれていた。

1ランク下の高校に下げた方が無難と担任に言われながらも、
出来て4年目の新設校の、ジャケットにネクタイを締める制服が
ひどくかっこよくて、しかも密かに思いを寄せていた男子が
目指していることを知って、一生のうちで一番勉強して
定員ギリギリで合格。

以降、バドミントンとお勉強と友情に彩られた私のフレッシュな
高校生活が幕を切って落とされる。

バドミントンには、サッカーのフォワードに匹敵する
体力が必要と豪語する、恐ろしくタフな女子部長は、
陸上部に入ればいいのにと陰口をたたかれるほどの
ランニングフリークな先輩。

部活の1/3はハードな陸トレ、
コートでは激しいフットワークトレーニングの毎日。
毎土曜は恒例7キロマラソン。
雨なら4階建て校舎の1階から4階をぐるり20周。

ヘトヘトで帰り着いて、その日4回目の食事をして
睡魔と闘いながら勉強する。

合間を見付けては、シェーキーズでピザをつつきながら
時を忘れてガールズトークに没頭したり。

密かに憧れた男子に、あの手この手でアプローチして、
嬉しかったり傷ついたり。
まだまだ恋愛の「れ」の字もわかっちゃいなかったころ。
それでもいつも誰かしらに恋してた。

やがて2年生の2月になるかならないかそんな頃。
家に帰ると両親が神妙な顔つきでちょっと話しが…、と。
聞けば3月の終わりに名古屋へ引っ越しだという。

後一年なんだから、住み込みでもなんでも、こっちにいさせてよっ!
無駄な抵抗も一応してみる。
いや、しないではいられないくらいに、私は札幌にどっぷりとハマり、
-事実、現在にも至るかけがえのない友人が男女数名いたりする-
多感な高校時代を謳歌していたのだから、
いくら親の命令とはいえ、このときばかりはこの世の終わりと思えるほど
辛く悲しい時期を送ったのだった。



大学受験を控えた3年生での転入だったことと、
札幌と名古屋でのカリキュラムの差異などから
公立高校での受け入れが難航し、
伝を頼って椙山女学園高校へ転入。

あの『前畑がんばれ!』の前畑選手を卒業生に持つ高校だ。

生まれて初めての女子高での日々は、想像を絶する毎日。
オトコの目がないことが、これほどまでに女性を怠惰に大胆に
お下品にしてしまうものなのねと、わずか17歳で知ることとなる。

淑徳、金城とともに、名古屋では三本の指に入るお嬢様学校ゆえ、
土曜ともなれば、校門前はお迎えのクルマの列がズラリ。
もちろんクルマを駆るのが執事や両親ではなく
ボーイフレンドってところが、“お嬢様”の質を物語ってるってもの。

それでも優れた順応性を持ち合わせている私は、
最初の半月ほどこそネコかぶりを決め込んだものの
あっとう間に華の女子高ライフに染まりに染まって
女の園で繰り広げられるあり得ない日常と、
やっぱり共学じゃなきゃつまらないな…的な1年を送ったのだった。


薄い肉が覆う締まった筋肉。
シミやシワの気配すらなくて、張りのある肌。
井上陽水とユーミンとレインボーが好きで、
親といっしょなら家でワインも飲んじゃってて、
将来は父よりステキな男性と20代で結婚して、
母より立派な母になることが
なんの苦もなく当たり前にできると思ってた
そんな高校時代。17歳。



顔面蒼白になるほどの緊張の中、
高速グリーンに、
そして世界屈指の強者に立ち向かっている
石川遼も17歳。

あの「ハニカミ王子」と呼ばれた頃とは
もはや同じ人物だとは思えない1億円プレーヤーだ。

17歳当時の自分と重ね合わそうにも、
一点たりとも符合しない彼の強運と非凡な才能と
強い精神力は、ただただ圧巻。そして奇跡的。

すばらしい経験をして帰ってきて。





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