
「なにがきっかけだったんですか?」
バイクに乗り始めて、一番よく受ける質問だ。
若い娘ならまだしも、
人生の安定期、円熟期に入っていく年代だもの。
わざわざ危険に身をさらすバイクなんかに
なんでいまさら?と思うのが、一般的な感情というもの。
もちろん、生まれてこの方一度もバイク乗り構想が
なかったわけじゃない。
19でGPZ400、30でバンデッドとエストレアのリアシートを温めて、
風と遊ぶ楽しさは知っていたし、都度免許取得を勧められもした。
「ひとりでどこへでも行けるし、楽しいよ」
「そだね。気持ちいいよね。惚れちゃうね、自分に」
だけど、ふたりがよかった。
彼の背中の温もりが、最初の一歩のネックだった。
そして
一度だけ、エストレアをパーキングから出そうと押したときの、
とてつもない重さに気圧されて、
「私はうしろでいい」
そう決めてしまったのが、極めつけだったのかもしれない。
その後、不思議とバイク乗りとは縁がなく、
ときどき親友ののり平と
「ふたりでバイク乗って『テルマ&ルイーズ』みたいに旅したくない?」
なんてことを話さないでもなかったけれど、
所詮飲んだ上でのwannabeに過ぎなかった。
やがて興味は海へと向かい、ダイビングのCカードを取った。
取ったのはいいけれど、潜るためにかかる費用の捻出が辛くて
続かなかった。
そうするうちに、
「ナオちゃんが海なら、私はやっぱりバイク」と
のり平が中型免許取得。
ヤラれたと思った。
そして運命の05年初夏のある日、親しくなったばかりの友人、
-今となっては一番のよき理解者であり、
私のマチルダデビューと時を同じくして
R100RS乗りになったboxerさん-とバイクの話をするうち、
未だかつて誰にも言われなかったことをさらっと言われた。
「乗りたいんだったらなぜ教習所に行かなかったの?
ソレってホントに乗りたかったわけじゃないんじゃない?」
「今からでも?」
「いいじゃん?別に」
確かにずっと夢みてた。
さっそうと風を切る自分に憧れていた。
でも周囲にいうたび返ってくる言葉に、
どこか自分も納得していた。
「なおちゃんがバイクなんか乗ったら絶対死ぬよ」
行動がいきなりで大ざっぱで、注意力散漫な上に
思いこみが激しい私の素を知る人ならば、
諸手をあげて勧めたりはしないのだ。
でも、きっと後悔する。
死にゆく間際、生きた道程を振り返ったとき、
バイクにははやり乗りたかったと、必ず思う。
そう考え始めたら、もたもたしている暇はなかった。
人生もはや折り返し地点を過ぎようとしているところだ。
足腰がヤワになってからでは免許取得どころじゃない。
不思議なモノで、気分が乗ってくると周囲に援軍がどんどん集まる。
のり平に次いで、後に私のバイク乗りの師匠となるミツルくんが
若い頃からずっと乗りたかったCB750Fが手にはいるからと
大型免許を取りに行ったことで、とうとう導火線に火がついた。
残暑の頃、ミツルくんの車に乗っけてもらって、
彼の卒業高へ入学手続きをしにいった。
その場ですぐにやらされた引き起こしは呆れるくらい簡単で、
年齢を気にしていたのがアホらしくなるくらい
みなぎるやる気と自信にあふれていた。
数日後から前代未聞の屈辱と自己嫌悪地獄に陥ることなど
知る由もなかったのだから。
よって冒頭の答えは、
「夢だ夢だと言いつつ、実は行動に移していなかったので、
人生折り返し地点を過ぎた気がしたのをきっかけに
ちょっと慌てて夢の実現を試みたってこと」てな感じか。