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なおねおなおん -naoneonaon-

いつか振り返る日のためのワタシメモ

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彼女に教えられたこと 「★つ・ぶ・や・き★(1280000)」

3年前。
友達が自らの命を絶ったたときもそうだったけど、
突然にその人の存在がこの世にないと知らされると、
その現実を受けいれるのに結構な時間がかかる。
一昨日訃報に触れた律子の場合、
恐らくは長い闘病を経てのことだったのだろうけど、
それを知らなかった私にとって彼女の死は突然のものと
同じようなもの。
元気だと思っていたのに、
メールや電話をすればいつでも連絡が取れると思っていたのに、
その相手がもういない。
二度とその風貌に、声に触れることができない。

そういうことなのだと思えてしまえば楽なのかもしれない。
だけどこれまでの故人との歴史を思うと、
それはひどく難しい。
例えばそこに、
とてもたわいのない、だけどいってみれば約束のような、
そんなものがあったりしたら、
それは永遠に果たされることのない、
切ない思いの塊になって、残された側の心に棲み続けることになる。

親しい人を亡くすということは、
決して変わることのない故人の面影や果たせなかった思いを、
心の中の引き出しに納めていくことなんだろう。
そして長く生きれば生きるほど、
愛しい人の死に何度も遇い、
心の引き出しがどんどんと埋まっていくのだ。
中には無理矢理にでも、
あふれそうな引き出しを押し込まなければならないこともあるだろう。
でもそれは、
無念のうちに死を迎えた人の生きた証と亡くなった現実を、
それぞれが認め送ってあげるために、
つらくともやらねばならないことなんだと思う。
そうしてその引き出しが埋まった分だけ、
人は人としての厚みを増していくものなんじゃないかと、
そう思う。


大切に思っている人とは、
たくさん逢わなきゃいけない。
時間がなくても、お金がなくても、
逢いたいと思ったら逢わなきゃいけない。
彼女の死を通して得た、私なりの教訓。
私の歳で、こんなに身軽でいること自体、
そういう生き方を奨励されているような気がする。
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