なおねおなおん -naoneonaon-

いつか振り返る日のためのワタシメモ

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祝!レイソル残留

穏やかな秋晴れの中、久しぶりのレイソル戦観戦。苦戦が続く今年のレイソルは、あわやJ2落ちかと気をもんだが、今日はガンバに2-0と勝ち、かろうじて残留を決めて今年のリーグを終えた。それでも後半はペースが崩れ、ゴールを割られそうになるたび悲鳴を上げたけれど、なんとかしのいでくれた。よかった。試合後、軽い二日酔いをおして祝杯をあげたのはいうまでもない。

しかし昨夜の有楽町チャンスセンターは凄かった。もちろん私は横を通りかかっただけなんだけど、つながった列は歩道にまで伸び、年末ジャンボ人気の高さを物語っていた。
また有楽町界隈の店も、給料日後、初の金曜ということでどこも込み合っていて、事前に予約を入れようにもすでに埋まっていて断られたり、予約は3名以上からしか受けないなんていうタカピシャな店も。
日本の飲食店も欧米並みになってきたってこと?雰囲気がいいと思って入ろうとしても、まず一言目に「ご予約は?」って聞かれちゃうんだから。うちで食べたいなら予約くらいしてくれよってか。

「ワイン館」のオンラインで買った正月用スパークリングワイン3本が到着。
正月まで待てるかな…。

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縁とか運とか縁起のはなし

年末ジャンボ宝くじが発売された。本当にもう年末だ。抗いようもなく、今年もどんどん大晦日に向かって時が刻まれている…。

宝くじもそうなんだろうけど、汗水たらして働きもせずして、どーんと高額現金が手に入るなんてことは、恐らく私の人生シナリオには書かれていないような気がする。例え女工哀史モードで働いたとしたって、8桁には縁がなかろう。
昨夜、「クイズミリオネア」を眺めていたら、みごと1千万を手にした中年のオバサンの「その後」をリポートしていた。
1千万は、番組が賞金を振り込んだ銀行で渡されるのだが、もちろん支店長室なんかに通される。そのオバサンの賞金の使い道が、親兄弟引き連れての国内温泉旅行だったからということもあろうけど、支店長室には7、8人の身内連中がズラリと居並んでいた。そんな中、ついに10個の100万円束が恭しく登場。みな一様に触ったり、手に持ったりで大騒ぎ。意外と軽いだの、少なく見えるだの、勝手なことを言い合っている。普通に働いてそれだけ稼ぐとしたらどんなに大変か…なんて感覚はどこかへ行っている様子。
結局そのオバサン一行は、総勢11名の温泉旅行で800万何がしかを消費した。
価値観ってひとそれぞれだけど、なんだか私にはひどくもったいない使い道のような気がしてしまった。
それだけそのオバサンは金に困ってなかったってことなんだけど。

でも1千万と3億じゃ、桁以上に次元が違う。3億といえば、750万の年収で40年間働きつづけてやっと稼げる額だ。稼げたとしたって毎月生活費に飛んでっちゃうから、それがドンと目に見えるわけじゃない。それがそれこそなんの苦もなく一度に手に入っちゃうのが宝くじなんだよね。そうそうあっちゃ困るよね。人生変わっちゃうからね。
でも同じ人が何度か当てるパターンもあるらしい。人生ってみな楽あれば苦ありで、ひとりだけ楽ばかりな人なんていないっていうけど、高額当選が2度も3度もあるってどうなのよ。当選の前の日まで這いつくばって生きててもらわないと、帳尻合わないよね。

そういえば、「今日のぼそっ」にも書いたけれど、今年はお酉様に行けなかった。行く機会を逸してしまった。行かなきゃならないのには、訳がある。私が入社した5年前から、毎年熊手を更新してきたのだ。年々大きくしていくから、今年は2万円弱のものを買わねばならない予定だった。例年は、新宿花園神社で熊手を買って、隣りのBRUNOで飲んで帰るのが慣わしだったけれど、今年は行くところもないし、浅草会場は不慣れだし…と思っているうちに、とうとう三の酉も逃がしてしまった。毎年買いかえてもちっともよくならないから一回くらいいいよとは、我が社BOSSの弁だが、一度も自分で買いに行ったことがないってことの方が問題だと、私は思うのだが…。
なにしろ私が熊手を買いかえなかったことで、来年うちの会社がなくなったとしたら、それはそれで話としてはおもしろい。私のことだから、お酉様協会に手紙なんか書いてみることだろう。でも話としてはおもしろいけど、なおニン的には死活問題。いよいよ本当の意味で、自力で生きる時が来るのかも。

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飲み放題の落とし穴

時間制限付き飲み放題システムは、今やチェーン展開をしている居酒屋ではほぼ当たり前になってきているけど、昨日行った京橋の居酒屋は2時間1,000円!自分至上最安値の設定だった。もっとも厨房に知り合いがいなければ絶対いかないような、まさに親父の巣窟系の店だったんだけど…。
一杯目の生ビールを注文した後で相方がいうことにゃ、その厨房の友人曰く、飲み放題の生ビールは実は発泡酒なんだそうな。ググっとあおった後でいうなんて随分イケズなヤツ。道理で自分だけ瓶ラガーを頼んだわけだ。確かに真っ当にやっててそれで店の利益が上がるはずがない。2杯目の「生絞りジンバック」とやらは、380円の割にやけにジンが強かったけど、いったいどんなジンを使っていたんだろう。いろいろと心配になっちゃう飲み放題だった。ただしつまみは結構おいしかった。炙り鯖の1本寿司とか、ひとくち餃子とか。

さて、今年も昨年に引き続き、穴川に住む相方の友人から地元マンション自治会のクリスマス会バンド演奏のオファーが来た。例によって練習はたった1回のほぼぶっつけだ。その練習だって、ボーカル組みのふたりが参加できない。子供相手とはいえ、また不安がいっぱいなステージになりそうだ。その上、私は最近めっきりカラオケにも行っていない。早々に行って、喉ならししなくては。やれやれ。

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なぜ?という意識の大切さ

「CM批評」じゃないんだけれど、榊原郁恵の森永ココアのCMを観ていて、ふと考えたことがあった。
「カーディガンはカーディガン伯爵が作ったのよね」などと子供と会話している郁恵ちゃんが、
「じゃあココアは誰が作ったの?」と子供に問われ、一瞬詰まりながらも
「ココアはママが作ったのよー」と返すアレだ。
その回答で、今時の子供が納得したとは思えないけれど、CM的にはほのほのとした仕上がりになっているってところだろう。

子供はいろんなことを唐突に質問してくるものだけれど、唐突な割にはかなりちゃんと親の答えを覚えているものだ。もちろんそれがその場しのぎのいい加減な答えだったとしても、その瞬間は信じきっている。親は何でも知っていると思っているからだ。
しかしだ。
すでに四十を越えた私ですら、世の中には知らないことのほうが圧倒的に多い。誤解したままでいることだって山とある。普段気にもしないでいることの原理やら仕組みやら謂れやらを尋ねられて、何にもわかってない自分に、ある意味びっくりすることがある。
…そういえば、知らないわ、って。
ひどく手前勝手ないい方をすれば、子供がいればもっと自ら学ぶようになるんだろうになぁ…なんて。

文学少年だった父は、今でも時々本を送ってくれるけれど、昔からことあるごとに読書を薦めてくれた。学生のころには「カラマーゾフの兄弟」もドンと買ってくれた。でもそのボリュームに圧倒され、結局カタチだけパラパラとめくっただけで、とうとう読まず仕舞いに終わった。あれは結局どこへいったのか。実家に置いあるんだろうか…。
思うに、もっと頭が柔らかいうちにもう少し本や新聞をしっかり読んでいれば、一般常識プラスアルファな知識を蓄えることができたのかも。やっぱり親のいうことには、素直に従っておくべきである。

ところで最近「巷のニュースあらかると」でも書いたニセ牧師の話題をakiさんとしていて、自分が「牧師」と「神父」の違いを知らないでいたことに気が付いた。akiさんが呆れたのはいうまでもない。
いたるさんのモノ知りにも、先日ほぉーと思ったことがある。
なんのことはない、甲子園の名前の由来なんだけど、私は知らなかった。ネーミングの女王気取りのくせに。
酔った頭で理解はできなかったけど、甲子(きのえね)がどうしたこうしたで、年々か振りのどうのこうのに因んでってことだった。
どんなことにも因果や由来はあるわけで、そこんとこ、もう少しなぜなぜなーにな意識を持たにゃいかんと思う、今日この頃なのである。

ちなみに、上記ふたつの件についてひょっとして知らないあなたのために、一応簡単に書いておく。
●牧師と神父はどう違うか
牧師も神父も協会のリーダーを示すんだが、牧師という言葉はプロテスタント教会で使われ、羊飼いという意味らしい。神父はカトリック教会で使用し、文字通り父なる神様の代理という意味なんだと。

●甲子園の名前の由来
甲子園球場が完成したのは、大正13年(1924年)8月1日。この年は、奇しくも、十干、十二支のそれぞれ最初の「甲(きのえ)」と「子(ね)」が60年ぶりに出合う年。縁起のよいこの年にちなんで、この付近一帯を「甲子園」と、また野球場を「甲子園球場(当時は大運動場)」と名付けたんだそうな。※うろ覚えにつき、「甲子園球場」公式サイトから盗んだが、いたるさんはほぼこの通りの説明をしてくれていた(たぶん…、いやきっと…)。

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吸うのなら腹をくくれという話し

高円宮さまが逝去されてまだ日も浅いけれど、両親の周囲でも悲しい知らせが続いているようだ。父と母共通の知人が他界し、他にも闘病生活を続けている友人がいるとか。父の妹、つまり私の伯母も最近病巣が見つかった。図らずも3人とも肺がんである。
伯母は定かではないけれど、他のおふたりはヘヴィースモーカーだったとか…。

ヘヴィーな喫煙が肺がんに罹る要因を招くのは周知のことで、みなそれを重々承知の上での喫煙なんだけれど、それでも自分の肺にガンの影が見つかったとき、本人達はどう思うんだろう。
やっぱりやめておけばよかったと、長年の“趣味”を後悔するのか、それとも「自業自得!タバコあっての今の自分」なんて納得できるのか。
でもいざやめようとしてもタバコはお酒以上に習慣性が強いから、大掛かりな生活パターンの改善や、肺がんで身内を亡くすとかいうショック療法でもない限りなかなかやめられない。でもどうなんだろう。やめられるものならやめたいと思っている人がほとんどなのではないかしらん。
だからやめようとしている人を見つけると、「どうせ続かないから無理すんな!」とか、「たった1、2週間やめたくらいで偉そうにいうな(現に私はかつての禁煙中、こういわれたことがある)」だとか、まるでチーマーから足を洗おうとしている人間を引っ張り戻そうとする連中のような言葉を吐くのだ。ともすると崩れちゃいそうな喫煙者アイデンティティーを、身近な喫煙者と連帯することで守ろうとするなんて、随分と情けなくはないだろうか。
ただでさえ紫煙で周囲に害を与えているのだ。やめようとする人の足を引っ張るなんざ、たばこ吸いの風上にも置けないと私は思う。
肺が真っ黒になって死ぬ時は、どうあれ誰だって孤独なのだ。今おててつないで吸ってたってなんの意味もない。どうも喫煙者連中には、やめようとする人間に四の五のものいう輩が多い。どうせ吸うなら腹据えて吸いなさいや。

とまぁ別に憤っているわけではないのだが、そういう前フリの上でだ、相方がやめたのを見習って私も急激に本数を減らしている。今度の忘年会がいわゆるひとつのテストマッチの場になるだろう。手持ち無沙汰にならないよう、口さびしくならないよう、せいぜい飲んで騒がねばな。

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記憶力復活宣言!

昨日買い物に出かけたら、2年前にもかなり流行ったバースデーベアーがお菓子売り場にどーんと売られていた。以前のと違って、月別に箱のカラリングが違っていて、日にちがプリントされた子袋が小さく開いたパッケージの小窓から、見えるにうになっている。ここで大方10分程、思いつく知り合いの誕生日分を探したけれど、ゲットできたのはたったの3つ。自分と弟と飲んだくれ1名分だけだ。見当たらなかった以外に、誕生日を思い出せないのが大きな原因。携帯を家に置いてきているから、カレンダーを見ることもできない。

携帯電話ってものが生活必需品になって以来、待ち合わせが極端にファジーになったり、コミュニケーションが粗雑になったりという弊害はよくいわれるけれど、私は記憶力が恐ろしく落ちたような気がする。昔は電話番号なんてもんは10やそこらは平気で暗記していたものだ。昔付き合った彼氏の家の電話番号や、19歳で東京に移り住んだ時の家の電話番号を未だに覚えていたりするんだから。
それが最近はどうだ。会社と自宅と実家は何かにつけて書くことがあるから辛うじて暗記しているが、特に携帯の番号に至っては、私よりもかなり早くに携帯デビューして以来、一度も番号を変えずに使っている飲んだくれふたりと相方の番号以外は、まったく頭に入っていない。自分の携帯の番号だって怪しいときがある。人に尋ねられて「…あれ?何番だったっけ…」と慌てる自分は、きっとなんて頭の悪い人間だと思われてるだろうなと、余計に焦っちゃったりする。
誕生日だってそうなのだ。昔はちゃんと覚えていて、その子を思い浮かべれば、黙ってたって誕生日もセットで記憶されてたはずなのに、これも携帯のカレンダーに登録しちゃってるお陰でちっとも覚えていない。
こうしてどんどん記憶することから開放されちゃってる脳は、これ幸いに益々楽してるわけだ。老化によってニューロンの破壊が加速度的に早くなってることに、さらに拍車をかけているんだろうなぁ。

ところで、これも昨日プラプラしながら来年のカレンダーを物色していたときに見つけたんだけど、「四文字熟語」を日替わりで乗せている日めくりカレンダーを発見。パラパラとめくったら「有耶無耶」のページが偶然開いた。知ってて当たり前ならゴメンあそばせ。「うやむや」の意味は知ってても、こういう漢字があてられるとは知らなかった。給料日前でお財布に小銭しか入ってなかった昨日の私には買えなかったけど、今日早速手に入れて、記憶力回復兼ねて来年は四文字熟語の達人になってやる!

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やっと飲んだボージョレー・ヌーボー

やっと飲んだボージョレー・ヌーボー。今年は吟味するでもなく、「GEORGES DUBCEUF」をチョイス。のり平がもって来てくれたのも偶然同じだったけれど、一方はDOMAINE THOMAS。もうひとつは「BEAUJOLAIS-VILLAGES NOUVEAU」となっていた。製造元は同じなんだけど、ぶどうを作った場所や醸造場所が違うってことなんだろうか。どちらも瑞々しく、でも軽すぎず、おいしかった。泡モノ好きのシュルケンさんが持ってきたスパークリング「CODORNIU」も空いたあと、コンビニに買いに行った「氷結果汁21」も9割方空になったから、みんなそこそこいい酔い加減。
つまみはヨーカドーがボージョレーにあわせてプロモーションしていたテリーヌと生ハムを3つ1,000円で買い、レンコン、アスパラとトマトのバルサミコ風味サラダ、牡蠣のバルサミコソテー、ポット・ローストの圧力鍋版を作った。ポット・ローストは、キャンプの時に固まり肉があったことは記憶しているものの、気が付いたらなくなっていて一口も食べられなかったというシュルケンさんのために、今度は圧力鍋で作ってみた。なんとはなしに、この前のキャンプの時のほうがうまくできたような気がしたのは、野趣に欠けていたせいかな。でもやっぱり粒マスタードを加えたソースが好評で、のり平はパンですくって食べてくれた。
締めは、昨日TVで見て以来ずっと食べたかった讃岐うどん。茹でたてのうどんに醤油をふり、花がつをと甘辛く煮た刻み油揚げをトッピングして、半熟卵をのせた。酔いもお腹もいっぱいいっぱい。睡眠が足りなかった相方も、疲れが溜まっているのり平も、いつのまにか夢の中。
幸せだあねぇ。

酔った頭で観た「アド街っく天国」は熊本の黒川温泉。九州で一番集客がある温泉だ。何度か近くを通ったことはあるけど、まだ一度も行ったことがない。露天風呂付きのお部屋、囲炉裏のある部屋、遠く望む愛すべき久住の山々…。あぁ早く行きたい
なぁ。
とかいってるかと思えば、急にインドに行きたいと言い出すのり平。「今は中国が一番だけど、次はインドよ!」だからだそうだ。
行きたい人いないかなーとのことなので、その気のある方はご一報を。

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本気の恋は冬が似合う

恋の季節というと、何もかもがフレッシュな春や、ジリジリと肌を焼く夏が浮かぶけれど、晩秋から冬にかけての恋も、なんだかロマンチックでよろしい。
木枯らしに吹かれながら、それでも自分だけを目指して待ち合わせにやってきてくれる彼を思ってドキドキしたり、なかなかならない電話を、湯冷めを気にしながら毛布に包まって待ったり、つないだ手が暖かかっただけで、キュンと幸せな気持ちになったり…。夏の恋がアバンチュールなら、寒い季節の恋はそれこそ純愛だ。寒さをものともしない一途な情熱は、それだけで我を忘れさせるものがある。
深夜の長電話だって、ウチワをパタパタやりながらよりも、ストーブの前に縮こまってたり、ホットミルクを飲みがらのほうがやっぱり絵になる。
やっぱりあれなのかな。夏に出会って、秋に再会して、冬に盛り上がるっていうのがいいのかも。冬はどうしたって行動範囲もモチベーションも下がっちゃって、出会いのチャンス自体が減っちゃうんだから。

でも私は圧倒的に春に出会うパターンが多い。といっても、9割方は職場恋愛だったから、「春に出会う」というよりも、「ずっと知ってはいたけれど恋がはじまったのが春」ってことになるんだけど。
であってすぐに意気投合したのは相方だけだ。あとはみな、同じ職場に勤めていて、気が付いたら好きあっていたというパターンばかり。「気が付いたら隣にいたっていうのがいい」とは、よくいう理想的な恋愛の形だけど、だったら私はかなり理想的な恋愛を重ねてきたことになる。そうは思えないんだがな。
寒いと、切ない気持ちが倍増するようだ。
だから恋をするには冬がいい。
切なさなくして、恋は語れないからね。

「Will you merry me?」でプロポーズした高円宮があっけなく逝去された。「Yes!」とシンプルに答えた久子様の心痛はいかばかりか。まだまだこれからいくらでも家族の、そしてふたりの思い出を育んでいけたはずなのに。あの夫婦は皇室にあっても、実に気さくで仲むつまじいイメージがあった。だからひとごとながら、残された家族の気持ちを思うと切なくて仕方ない。憎まれっ子が世にはばかるというだけに、高円宮のような国民から人気の高かった人は早く逝ってしまったということか。ご冥福を祈りたい。

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ピアスとタトゥーのブレイクに思う

先日、小さな子供と遊ぶ機会がないと書いたけれど、考えてみたらティーンエイジャーや20代の連中との接触もない。接触どころか見かけることもない。原宿や渋谷あたりに出かけなくなったからだ。出かけなくなったのは他でもない。いわゆる訳のわからない若い連中の猥雑さにうんざりしたからだ。
見なきゃ見ないで済んでいたのだが、昨日TVで取り上げられた最近の不思議な若者たちの様を見て、かなりびっくりした。ちょっと理解不能なんである。
その番組で取り上げられたのは、特に原宿あたりでよく見かけられる全身ピアス族とタトゥー族。どちらかひとつということではなく、かなりの確立で両方の装飾を施している人が多い。つまりは何かしらの痛みを伴ってできあがるボディーアートにハマっている若者達ってところかな。
番組のインタヴューに、「自分の居場所がないから、人と違うことをして目立ちたい」とかなんとなヌカす子がいたけど、そんなに刹那的でどうするんだろう。若くして人生選択肢をメチャメチャ狭めてしまってることに気付く頭も、気付かせてくれる大人にも恵まれていないらしい。
ピアスは私もあけているさ。あけてはいるけれど、別にアートのつもりはない。イヤリングをするには耳たぶが貧相ですぐに落として無くしてしまうというのが理由その1。ふたつめの理由はピアスの方がデザインのバリエーションが豊富なこと。3つ目は、ピアスならつけっぱなしでもいいし、一応気を遣ってるようにも見えるかな…みたいなズボラ発想。だからどこかアフリカの国の民族装飾みたいに耳たぶに金属の輪をはめて大きく穴を開けたりしている連中にはびっくりだ。手の中指の付け根あたりにピアスを貫通させてる子や、しまいには首根っこにあけちゃってる子もいる。医者にいわせれば、角度や深さを間違えば半身不随になってもおかしくないとか。医者じゃなくたって、そこはマズいだろうってことくらい普通はわかるはずなんだが…。
タトゥーに至っては、もう、日本も終わったねって気すらした。10代の女の子が背中一面にわけのわからない刺青をいれちゃうんだから。そこまではいかなくても、肩に、腕一面に、腰に、うなじに、胸にと、服で隠せないところにもバンバン入れている。意味のない図柄から竜やら鳳凰やらそのバリエーションも多種多様。しかしねぇ、付き合ってる彼氏の名前ならまだ百歩譲ろう。でも「Beckham」って掘っちゃった子は、いったいこれからどうするんだ。ビクトリアですら、ダンナの名前を自分の腕に彫っちゃいないはずだ。せいぜいがんばって男の子を産んで、たとえズブの日本人だろうとベッカムと名づけるしかないわ。そうすれば、ちょっとした安室レベルにはなれるってもんでしょ。
まぁいずれにしても、ピアスの穴は長くあけていれば塞がらない。タトゥーに至っては、レーザー治療を10数回繰り返しても、決して元通りの肌にはならない。
自分というものがわかるはずも、決定づけられるはずもない若さでハマる自己表現方法にしては、あまりに過激、そしてあまりにお手軽なのである。

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化粧品ブランドってやつ

今、巷にいったいいくつの化粧品ブランドがあるんだろう。
デパイチに入っているトップブランドを思い出しても10は下らない。結構こまめに出入りが激しかったりするし。その他ソニプラなどに入っているブランドを加えると、空で20は列挙できる。さぞ競争は熾烈だろう。
そんな中、通販ブランドが店舗を構えるケースも増えている。
ファンケルも、もともとは神奈川で地味にやってた会社だが、いまでは百貨店でブースを構えているし、オルビスも最近になって店頭展開を始めた。
オルビスは無香料、オイルフリーなどのコンセプトが気に入って、かれこれ7年ほど愛用しているが、ここのクレンジングリキッドオイルに勝るものはないと思っている。一般的にクレンジングオイルというと、落ちはいいけどベトつきがね…、と敬遠されるのが常であるが、ここのオイルにはそのベトつき感がまるでない。手にとって顔に塗り広げながらマッサージしても、サラっとしているのはもちろん、洗い流しても油っぽさはほとんどない。最近発売された化粧惑星のクレンジングオイルは、あれだけCMでスグレ加減を訴求したわりにはびっくりするほど使用感が気持悪い。文字通りベトベトするのだ。この商品の売れ行きがどんなもんかは知らないけれど、ネームバリューにおんぶに抱っこじゃ客はついてこない時代だ。どうしてあれでヨシ!としたのか理解不可能。
化粧品業界では、いいものだから売れるというセオリーは通用しないと言われるけれど、本当にいいものはたとえ時間がかかっても口コミで広がっていくものじゃなかろうか。
ブランド信仰タイプの人は、すべてのアイテムをひとつのトップブランドで統一することがステータスだと思っていたり、品質ではなくブランドでモノ選びをする傾向があるけれど、それはある意味ブランドによる洗脳だ。このブランドだからきっと効くとか、私の肌に合っているとずっと思い続けているのだ。もちろんそれが正解の場合もあるだろうが、ただの思い込みってこともある。名もないブランドの中にも、隠れたヒット商品、いわゆるスグレものがあったりするのだ。本当に自分に合ったものを見極める目を持つことは、特に化粧品においては、後々の己の顔に結果がでるだけに大切なんじゃないかな。
オルビスのショップ展開のニュースを知って、そんなことを思った。

ところで今日はボージョレー・ヌーボー解禁日。
未だに盛り上がっているのはご当地フランスと日本だけといわれている。あんなに若いワインを飲む気が知れないとは、イギリス人の弁。どうなんだろう。フルボディーがあまり得意じゃない私としては、みずみずしくて渋みがないヌーボーは結構好きなんだけど。解禁日を理由にちょっと悩みながら選り取り買って、こっちがいいとかあれがよかったとかいいながら楽しむのは、飲んだくれ冥利に尽きるってもの。
いーんじゃないの?別に。
ただ今日は体調がすぐれないので、解禁は週末までお預けにすることに。

最後に。
昨日は昨年亡くなった友人の一周忌だった。
アルゼンチン戦を観戦しながらビールをあおり、心の中で少し合掌した。私は相変わらずだよと、報告しながら。

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食事をするときの癖の話し

食事の仕方を見て、相手の「素」を見ちゃったような気がしたことってないだろうか。
一昔前は下品の代名詞の代表選手だったピチャピチャと音を立てて食べる人は、なぜだかとんと見かけなくなったけれど、それでも「どして?」と思うほど音をたててラーメンや蕎麦をすする人や、爪楊枝をチッチっといつまでも使う人、お吸い物や味噌汁をすすった後に、チャッチャと箸でおわんのふちを叩く人とは、食事を共にしたくない。
でも、出会ったのが食事シーンだなんてことはあまりないわけで、仲良くなってから初めて食事をしたときに、気に障る食べ方をされて、自分でもびっくりするくらいに「…あかんな…」って気がしたことが、かつて何度かあった。
いっしょに食べてる相手に気を遣うって感性がないのか?
親に食べ方の指導を受けなかったのか?
そういう視点で相手について考察するから、会話なんて上の空ってなわけだ。

子供のころ親の小言で何がうるさいって、食べている時に、やれちゃんと茶碗を手で持てとか、やれ肘を付くなとか、食べながらしゃべるなとか、そういうことを言われるのが一番うざったかった。でも食べ方がおぞましい人に出会うたびに、親に躾けてもらってよかったとつくづく思う。

ところで、チャッチャと箸でおわんのふちを叩く人だけ、妙に表現が具体的だと思ったあなたは今日はとても冴えている。
何を隠そう、これは一時はとっても愛した人だったけど、もう顔も見たくないほどに嫌いになった人の、中でも一番カンに障る癖だったのだ。つまり数少ない、ワタクシ的坊主にくけりゃ袈裟まで憎い体験ってやつ。癖なんだから出会ったときから同じようにやっていたんだろうに、愛が冷めると同時に妙にハナに付くようになった。
愛しているときは魅力となり、愛が冷めれば憎悪の増幅ポイントとなる。癖とは厄介なものよのぉ。
食事の仕方なんてものは、それこそ癖の見本市みたいなもんだ。
箸の上げ下ろし、咀嚼の仕方、食べる順番、スピード、平らげ方、残し方…。いたるところに癖が出る。
ちなみに相方の場合は、コーヒーやジュースやビールなどの飲み物を、いつも1cm程度残す。まだ飲むのかと思って置いていても、結局冷めたりぬるくなったりする。残ってるよと指摘するたび「おばあちゃんの癖がうつったの」と説明してくれるから、今度からは「おばあちゃん!残してるよ!」といってあげようと思っている。
私はといえば、なんつたって早食いなことだろう。
そこいらへんの男連中に勝けない速さだ。別に勝とうと思っているわけじゃないからあしからず。
女だてらの早食いは、色気や素っ気がないだけでなく肥満の原因にもなるが、教科書どおりに一口を30回噛んでいたらあごが筋肉痛になったので、極力飲み込みを遅くするように心がけようとは思っている…思っているだけじゃ意味がないから、気が付いたら遅くしている。
早いのは食べることだけじゃない。飲むのも早い。一杯目のビールは、中ジョッキ1/3から1/2は一気が基本だ。気にはしているが、ついつい「プハ~」が出ちゃうこともある。「うまいっ!」とか控えめに叫ぶことも。
まぁいいか。いいさね。うまいものはうまいんだもん…。
今日はそういうまとめ方をするつもりじゃなかったけれど…。

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今時の子供と昔の私

平生、小さな子供と接する機会がまるでない。
自分に子がない上に、遊び友達がみな独身、あるいはDINKSだからなおさらない。子持ちの友達もいるにはいるけれど、みなそれぞれに多忙で、うまくタイミングがあわない。ヘタに家に遊びにいこうものなら、友達との会話がままならないどころか、子供のお守でクタクタに疲れてしまうのが関の山だ。
でもたまに子供たちと接触する機会があると、そのオマセ振りに驚かされることが多い。そんなことを考えちゃったりするわけ?そういう言い回しをどこで覚えたの?…なんて、子供だからと侮っていると、結構恥ずかしかったり腹立たしかったりするものだ。
子供のあるべきスタイルというのは、自分が子供だったころのそれと比べていることに他ならないから、私のように人見知りで意志薄弱な子だったりすると、余計に今の子供の自己主張の強さに唖然とすることになるのだろう。

いや、実はそうなのだ。
幼い頃の私は実におとなしかったのだ。おとなしいけど意地悪だったり、うそつきだったり、いわゆる陰湿なやつだったような気がする。そのくせ決して賢いわけでもなく、お遣いに行けばお釣を間違って渡されても気が付かずに帰ってくるし、母に「タイヤキを2つ」とオーダーされたのに、お店に行くうちに記憶があやふやになり、結局「たこ焼きを2つ」買ってきてしまうような子だった。体温計を買いに行かされたときは、薬局で「温度計」といってしまい、理科の実験でみたあの長い温度計を出された。さすがにこの時は「熱をはかるやつ」と説明できて事なきを得た。こんなバカさ加減だ。親もさぞ不安だったことと思う。

子供って純粋ゆえに残酷で、意地悪で、傲慢で、しつこい生き物なんだよね。だから若いころの私は子供が好きじゃなかったんだろう。漸くそのことに気が付いて、逆に子供ってもんがおもしろいと思えるようになってきた。
いつも疲れるために行っているような子持ちの友達の家に、たまには行って来ようかなぁ。
ちなみにそこのうちの子は、私を同じくらいの歳の友達だと思ってる。生まれて母親の次に抱かれたのが私だとも知らずに。

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唐突ですが今こそ!の恋愛

歳をとってからの本気の恋愛って、宝くじを買う行為に似てる。
どうせ当たりっこないって思いながらも、それでも買わなきゃ当たらないと思って買う宝くじ。
また肩透かし、あるいは徒労に終わるんじゃ?…と思いつつも、いやひょっとして?やっと出会えた人なのかも?ここで引いたら後がないかも…とにわかに意気込む大人の恋愛。

恋愛こそ大人になってするものだと、私は思ってしまうんだがな。
若い頃は、それこそ人の痛みも思いも推し量ることなんかできないわけで、それゆえ傷つき傷つけあう。それが人を大きくするから若い頃は浅い深い取り混ぜて、いろんな恋愛をしたほうがいいとは思う。いいとは思うが、成就させなくたっていいとも思う。あまりに早くに成就した気になって結婚した挙句が、子供に苦労を強いる離婚という結果だったりする場合が多いからだ。バツイチの私が言えた義理じゃないんだが、子供がいなかった分だけ言わせてもらう。
で、それなりの経験を重ねた歳に至れば、少しは相手の気持がわかるようになる。恋愛の経験だけじゃない。仕事を通して人間ってものを学ぶことだって多いし、親や仲間を失うことでひとまわりでっかくなることもある。人を見てくれや肩書きだけで選り好みすることのナンセンスもわかってくる。
だから若かりし頃を過ぎても、じゃんじゃか恋愛はするべきだ。理性や知性や経験をストッパーに、脚を突っ張ってブレーキかけてるのはつまらん。理想的な人がすでに売れてしまっているのは、ものの道理からいって当たり前のことだが、残っている人たち(他にうまい表現が思いつかなかったのであしからず)の中からキラリと光かるキャラを見つけたときの感動がどれほど素晴らしいかは、想像に余りあろう。

とはいうものの、女房子供を泣かす浮気は論外である。
私の知る妻帯者の中で、「カミサンだけだよ!」という台詞が胡散臭くない男性はほぼゼロに近い。中には堂々と開き直って、さも女が放っておかないんだよといわんばかりの人もいる。何人もいる。
家庭という人生においての一番コアなステージをぶち壊してしまうのなら浮気じゃだめだ。離婚するだけの腹の据わった覚悟で望むくらいの潔さが必要だ。人んちのことだから、私が四の五のいうことでもないんだけど。

クリスマスまでボチボチ1ヶ月。輝いていたかつてのクリスマスを取り戻せない昨今にふて腐れるのもいいけど、歳相応の、でもちょっとドキドキする楽しいクリスマスをあえて演出するのもたまにはいいのかも。仕事やひとり酒に逃げるのも、逆にちょっと飽きたりしてないか?
だってみんなやっぱり楽しいほうがいいんだから。

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うまくなった缶チューハイ

最近、缶チューハイがウマい。果汁の処理に各社競って工夫を加えているせいか、非常にフレッシュだ。かつてのような妙な甘さもないし、酒飲みの喉をも満足させるウマさに仕上がっている。
私はもっぱらキリンの「氷結果汁」を愛飲している。
缶のボディーが細かな三角形の凸凹になっていて、リングプルをプシュっとあけると、空気が入って凹凸がくっきりする。中身にどういうメリットがあるのかどうかはしらないけど、インパクトは強い。
味はというと、いずれも果汁が控えめであっさりとしていて、さら~っと飲めてしまう。炭酸も強くない。すべからく当たり障りのない印象。そこが売れてる理由って気がする。ちょっと前までの缶チューハイにありがちだったベタ甘さがないから、男性をはじめとする酒好きにも受け入れられているのだ。
「凍結果汁」の新顔は「アップルヌーボー」。初摘みアップルを使った冬限定商品だ。ボトルカラーもシルバーと赤のツートーンで、限定らしさを醸し出している。味もそれこそりんごジュースと間違えるほど、果汁っぽい。あっさりだ。

日本人ってのは、この限定に滅法弱いね。
いまだけ!ここだけ!これだけ!といわれると、手に入れないと気がすまないところがある。よほどウマんだろうなぁ…、もう二度と口にできないかもしれないなぁ…という、食いしん坊精神をみごとにつかんだ商品企画力の勝利ってところだ。デパチカに続いて、ホテイチなんてのがOLや主婦でわんわん混んでるのも、限定感に踊らされている証拠だ。丸ビルの日本初出店のイタリアンでは、この先何ヶ月も予約が入れられないのも、そういうことだ。
そんなに繁盛しているなら潰れることもなかろうし、ゆっくり食べに行けばいいのにね。どうしてみんなそんなに生き急ぐ…、いや食べ急ぐんだろうか。

急ぐだけじゃなくて、食に金を惜しげもなくつぎ込む人もいるね。
恵比寿ガーデンプレイスにあるタイユバン&ロブションなんてディナー一回で8万は飛ぶわけで、それでもあしげく通っている人がいたりする。もちろん普通のサラリーマンで、だ。それに比べたらうんとお安く3万程度で済む新宿パークハイアットのニューヨーク・グリルだって、「あの夜景込みと思えば安いもんだ」とかいいつつ、ここもリピーターが多い。みんなゴージャスだよな。経費で食事代を落とせる時代もどこへやらの昨今じゃ、ねだりもできないっつうの。
とりあえず、ボスのロト6が早く当たるのを待つしかないな…。

| 未分類 | 22:04 | comments:1 | trackbacks:0 | TOP↑

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忘年会下見と食品の値段

昨夜は「飲んだくれ忘年会2002」の下見と称して、会場になるいたるさんの大学時代の同級生とその相方が切り盛りするお店、浅草橋の「うさぎや」に行ってみた。
浅草橋といえば、ちょっと下町風情が漂う問屋街で、八丁堀のオフィス街とはかなりムードを異にする町なのに、八丁堀駅からは地下鉄を乗り継いでわずか9分しかかからない。以外や以外である。
さてその「うさぎや」。ちょっと懐かしい感じがしたのは、照明やイス・テーブルなどをはじめとするインテリアのせいかな。フォークソングが似合いそうな雰囲気だ。なくなってしまったブルーノよりも広いのに、当日は貸切にしていただけるという。ありがたいね。会費やメニューなどの話しもついて、あとはその日を待つばかり。ドタキャンがなきゃいいけど。

昨日、京橋のクライアント先まで歩いた帰り道、何を買うつもりもなかったんだけど、久しぶりにMEIDIYAに入った。お気に入りの食材屋「カルディ・コーヒーファーム」で売っているようなおなじみの製品もあるけど、ほとんどが高級品。5,800円のバスサミコ酢…。何を作ろうってんだ?ひとしきり呆れながら物色し終わって、忘年会下見会に夜勤のため参加できない相方のために、マシュマロとストロベリーチョコを買った。160円と200円で360円…。並んだレジの前の客が大きな紙袋を抱えていったのを見て、かなり気後れした。

MEIDIYAを出た後は、八重洲通り沿いの「ハナマサ」に、オフィスで使うコーヒーペーパーフィルターを買いに行った。ここでも10分ほど店内物色。MEIDIYAの格帯を見たばかりだったのも手伝って、その激安感にこれまた呆れる。業務用がほとんどだから安いのは当たり前だけど。
物の値段がこうも違うのって不思議だけど、「1000円でこんなに買えた!」っていうのもうれしいけど、「これ5000円もしたからきっとすごいおいしいに違いない」って思うのもうれしいはず。不味かったときに諦めが付くかどうかは別だけど。

| 未分類 | 13:40 | comments:8 | trackbacks:0 | TOP↑

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読み間違いはピュアの証し…か?

毎朝通勤で使っている総武快速の停車駅「馬喰町」。
つい先日、電車の中から何気なくみた駅名行灯パネルに「ばくろちょう」と書いてあるのを見て、自分がずいぶん長い間読み間違えていたことに気が付いた。
あれは「ばくろちょう」が正解だったのね。
身近な人に「ねぇねぇ知ってた?あれは、ばくろうちょうじゃなくって、ばくろちょうって読むんだよ!」と、たぶん何人かは「え?そうだったの?」といって驚いてくれるだろうという期待を込めて聞いてみたけど、100%の人が正しく読めていた。結構ショック。
馬が喰らうんだから「ばくろう」だろうと勝手な思い込みをしたとはいえね。

まったく読みの想像がつかずに、自分独自の読み方をしていて、人前で口に出さなきゃならないときに、うっと詰まることがあるけど、それを堂々といっちゃうやつもいる。信じてくれなくても結構だけど、その当時30代半ばの友人が、本当に「渋滞」を「しぶたい」と読んでいたんだから。まだ出端だったでっかい携帯電話から「しぶたいにハマってさー、まだ赤坂なんだよぉ~」とオフィスに電話してきたんだからウソじゃない。どうしたもんかと思ったね。男性のズボンのジッパーが開いているのを指摘するのも辛いけど、こういう間違いを、しかも自分よりも年上の人にいってあげるのも難しい。年下なら「まだまだ青いね!」とかいって茶化したりできるけど。…年下といえば、昔オフィスに入社してきたばかりの若造に見積りを頼んだら、数量のところに「二式」って書いていたことがあった。ふたつの内容をまとめて合計額を出したから、「一式」じゃなくて「二式」だろうという彼の発想のピュアさに、ある意味感心してしまった。知らないってことは、時として常識さえ塗り替えるができたりするのかもしれないなぁなんて思った。もちろん「二式」がありってことじゃない。

さて、で、最近非常に身近な人が言っていた読み間違いに、「はんみよく」ってやつがある。
お風呂の話をしていたときだったから、それが「半身浴」の読み間違いであることにすぐに気が付きはしたけれど、なんとも嘆かわしい。
確かに三枚に下ろした魚なんかの一枚を「はんみ」ということもあるわな。あれを「はんしん」っていっちゃうと、妙に生々しい。でも半身浴は人間しかしないことだ。人間の体にまつわる場合は「はんしん」というのが正しかろう。「半身不随」然り。
他によく間違ったまま使われているのに、「あまみどころ」がある。「甘味処」の読み間違いだ。「かんみどころ」が正しいのはあえて言う必要もないだろう。でもこれだって、辛い、甘いの表現に使うときは「あまみ」という。「かんみが足りない」とはいわないわな。「あまみどころ」と読んじゃう人は、人口甘味料も「じんこうあまみりょう」と読むに違いない。うぅ…。
相殺を「そうさつ」、重複を「じゅうふく」と読むと試験ではバツだけど、辞書にも一応出てるからあからさまな間違いとはいえない。ただこいつあんまり頭よくないなと思われる可能性は高い。

自分を擁護するわけじゃないけど、そうはいっても地名は仕方ないよね。オリジナルなんだから。
札幌に4年いるうちに大概は読めるようになったけど、北海道なんかは特に読めない地名が多い。3年前に鹿児島の観光HPの仕事をしたときも、結構変わった読み方をする地名があったっけ。
そういえば、もう10年くらい前、そんな読みにくい地名に囲まれて生活していたはずの札幌の人が東京に来て、世田谷の「上野毛」「下野毛」を「うえのけ」「したのけ」って読んでたって話しは聞いたことがある。ネタくさいけど。

そもそも今日の日記の内容を思い付いたのは、このサイトからリンクしてある「ヤンス」のHPで、管理人のワイフが「赤裸々」を「あかはだはだ」と読んだというくだりを見たことがキッカケだ。この純真さでもって育てられた彼女のベイビーたちは、さぞいかした子になるんだろうな、なんて風にも思おうと思えば思える今日この頃だ。

| 未分類 | 11:44 | comments:9 | trackbacks:0 | TOP↑

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福岡弁と北海道弁と名古屋弁の違い

私は福岡の出身だ。
今の実家は北九州に程近い宗像郡にあるけれど、生れ落ちて中学2年で札幌に引っ越すまではずっと福岡市内で暮らしていた。
片言で話し始めて以来12年ほどは、福岡弁(博多弁とは気持違う。博多弁のほうがもっと気風がいいのだ)一点張りの生活だったわけだ。
そもそもの抜群な順応性ゆえか否かは定かじゃないが、三つ子の魂に刻まれているはずの福岡弁も、札幌の牧歌的なイントネーションの影響力の前ではひとたまりもなく、引っ越していくらもしないうちに道産子に負けない北海道弁会話が普通にできた。学校で北海道弁にまみれ、それをそのまま家に持ち込む私に、母は「いつも標準語を使いなさい」と呆れ半分いってはいたが…。
「北の国から」に代表される北海道を舞台にしたドラマや映画の影響で、北海道弁のイメージは広く日本中に浸透している。東北や九州の言葉にくらべ、語尾にかけてのイントネーションに特長がある程度のわかりやすさのせいかもしれない。
北海道弁は男女問わず「~かい?」を多用する。商店街の八百屋の店先なんかでも、「じゃがいも持ってかないかい?」とか「これかい?こっちにするかい?」なんて具合に。
福岡から引っ越したばかりのころ、母に付き合って買い物に出かけた父は、その馴れ馴れしい(慣れないとそう感じるわけで)「~かい?」遣いに腹を立てたことがあったっけ。今となっては笑い話だけど。
で、札幌で4年間、すっかり北の人になっていた私は、城で持ってた尾張名古屋へと引っ越すのだ。
名古屋弁といえば、折りしも「利家とまつ」で毎週耳にすることはできるわけだが、一般的にいわれる「みゃー」は、現在ではお年より言葉といわれている。若い人は「みゃー」よりは「きゃー」とか「りゃー」が主流。「えびふりゃー」といっていた記憶はないけれど。

前置きが長くなってしまったけれど、実は昨日相方と話していて、
「明日の朝は洗濯ばせないかんけん」となぜか無意識に口走ってしまったのだ。
手を叩いて爆笑した相方は、携帯のメモ帳にメモしていた。
思うに、最近時々何かのハズミでポロっと福岡弁が口をついて出てしまうことがある。相手は冗談だと思っている場合がほとんどなのだが、自分では「はて?」な感じ。なんで今さら?なのである。赤ちゃん帰りの兆候だったらどうしよう。そこまでボケが進んだか。

都合日本の代表的方言を3つも使いこなせる私は、場合によっちゃあ器用といわれておかしくない。大阪生まれの人は、どこへ行こうと死ぬまで大阪弁を基本とするくらいだし。
てなわけで、3つの方言のあからさまな違いをちょっと紹介しちゃおうかな。
方言っていうのはそのお国柄が強く表れると思うんだが、福岡ははやり威勢がいい。「とっとーと(取ってあるの!)」「すーすーす(スースーするね なんだか薄ら寒い様)」など、決して他の地の人にはわかりえないものも。ばったり街で会ったときも「なんばしよっとな?」と、聞きようによっては凄まれているようにも取れるのだ。一方北海道はまさにのんびりとしている。福岡が「たい!」とか「くさ!」などでビシャっと叩きつけるようであるのとは対照的に、語尾は基本的にどこまでも広い大地に向かって伸びていくように「かぁ~い?」「だぁ~」「も(ん)なぁ~」ってな感じでイメージしてもらうとわかりやすかろう。一杯飲んでご機嫌な黒板五郎を思い出すといい。「ばくる(交換する)」「えらい(疲れた)」
「あずましくない(騒がしくて落ち着かない様)」など不思議な言葉も。名古屋は総じて品がない。名称は「おみゃー」または「あんた」を男女問わず使う。女性を「あんた」呼ばわりする男を嫌悪するのは、名古屋で暮らした以降である。

まずは東京弁パターン。
「おはようございます。今朝はすごく寒いね」
「本当にね。なんだか骨身に沁みるようになちゃった」
「なにいってるのよ。まだ若いじゃない」
「この前ちょっとボーリングしたのよ。そしたら3日目に筋肉痛になったのよ。なんかヤバいよね」
「ばかいってないで仕事しなさいよ」

福岡地方の言葉
「おはようございます。今朝はほんなこつ寒かねー」
「ほんなこつ寒かー。骨身にしみるごたー」
「なんばいいよーとかいな。まだ若かろうもん」
「こないだボーリングばしたったい。そしたらくさ、3日目に筋肉痛になりよーと。ヤバかっちゃんね」
「ほけーっとしとらんで、仕事ばせんね」

北海道弁
「おはようございました。今朝はなまらシバレルんでないかい?」
「いやーいや寒いなぁ。骨身にしみるっしょ」
「なーにいってんのさ。まだ若いっしょ」
「この前なぁボーリングに行ったのさ。したっけ3日目に筋肉痛になったんだぁー。いやーいやヤバいもね」
「はんかくさいこというんでない。仕事すれぇー」

名古屋弁
※かなり特徴と思われる言い回しを特別バーションで。
「どえりゃーえりゃーがや」(すごく疲れた)
「トンきってこやー」(タクシーで来てよ)
「栄で待ちきったがね」(栄で待ち合わせしたでしょ)
「なーんも知らんでかんわ」(何も知らないから困るわ)
「は~よぉ やっときゃー」(早くやっておきなさいよ)

はぁ。記憶を辿るのも楽じゃない。
これでコンテンツがひとつできそうな勢いだ。

| 未分類 | 12:19 | comments:3 | trackbacks:0 | TOP↑

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サソリという名のイタリアン

8月の牛角行き以来、随分と間があいてしまったのり平、チェリーといっしょの食事会。やっと昨日3人して落ち合った。
今回はちょっと奮発して、ちゃんとちゃんとのイタリアン。
紅虎餃子房の際コーポレーションが展開するスコルピオーネ・スタチオーネへ初めて行ってみた。
ジャズが流れる店内は吹き抜けになっていて、イタリアンレストランにありがちな窮屈感がまったくない。暗すぎも、明るすぎもしない照明の加減もいい。
遅れてくるチェリーを待ちながら、トマトとモツァレラのカプレーゼ、きのこのフリット、ピクルス、チーズ盛り合わせなどをつまんだんだが、この前菜からすでに衝撃は始まった。
カプレーゼの下の層の部分が、輪切りのトマトに見えて実はトマトのゼリーだったのだが、このゼリーの旨さといったら、知らずに口にしたのり平が、ピクンと飛び上がったほどだ。口当たりのやわらかさといい、トマトのほんの微妙なざらつき感を思わせる舌触りといい、塩加減といい、トマト以上のトマトとでもいえばいいのか、とにかくなにしろな逸品だった。添えられた細かいダイスカットの酸味の効いたキュウリと濃厚なバジルソースも抜群。
ピクルスにしても、パプリカやセロリの他に和の食材であるレンコンやゴボウが入っていたのが新鮮。フリットはピンクとグリーンの2色の塩につけていただくんだけど、このピンクの正体はわからず仕舞い。グリーンはパセリだと思うんだけど。
チェリーが来るまでの間に乾杯のビールとワイン2本が空いていて、結構お腹も満たされていたのだけれど、最後にグリーンのニョッキのクリームソースと、全粒粉パスタの比内鶏と香草乗せをオーダー。
モチモチ感が後を引くニョッキは、チーズを感じるクリームソースが絡んでいくらで箸が…いやフォークが進む。
全粒粉のパスタは、薄切りの豚肉とのり平が勘違いしたのもうなずける色形。みじん切りのニンジンや玉ねぎが醸し出すソースの薄甘さが、ちょっと中途半端なのが残念といえば残念。
ドルチェはチョコレートケーキと2種類のアイスクリーム。
もう満腹。
3本目のキャンティもあっさり空いて、〆て25,000円成り。
3人至上ダントツの豪食であった。
でもベーシックなパルミジャーノのリゾットとか、カルパッチョも実は食べたかったんだけどな。ちょいと不完全燃焼気味な感も…。
でもまぁお店の人達も感じがよかったし、おいしい驚きを求めていくにはいいお店。
今度は何を食べに行くかナァ…。

| 未分類 | 11:54 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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キムタクとのひととき

もう10年近く前になるんだろうか。
糸井重里や中居美穂やゲージュツ家の熊さんたちと毎週トーク番組に出ていたキムタク。あの頃から、あの人には「ただならぬジャニーズ」感があった。歳の割にいうこといちいち筋が通っていて、ちゃんと自分の頭で考えたお返事をしていた。
それでも「あすなろ白書」のころは、まだまだ筒井道隆君なんぞに負けていたし、カラダも華奢だった。
脚本と山口智子のうまさもあったけど、「ロンバケ」の録画は今でも絶対消せないビデオテープとしてうちに秘蔵してあるくらいのめりこまされたし、その後サーフィンにハマってからは、みごとに上半身に筋肉がついて逞しくなった。
工藤静香が嫁さんっていうのが、未だに解せなくはあるけど、それでもただそこにいるだけで絵になるのは、彼が出演しているCMを見るだけで明らかだ。

そんな彼が、パーサーに扮しておさまっているANAのポスター。
「エコヒイキはいかがですか?ビジネスクラスですから」なんていうコピーが添えられている。それなりのお金を払ってるんだから、エコヒイキじゃないじゃん!でも本当に彼にエコヒイキしてもらえるなら、金払っちゃいそうだよ。
なんてったってそこにいる彼は、紺の制服がものすごーく似合っている。すでに大人の色気さえ感じてしまい、思わずポスターの貼ってある駅のホームで立ち止まって見入ったほどだ。
本当にこんなパーサーと乗り合わせたら、声かけちゃうわよ。
「ブランケットいただけます?」とか
「お水ください」とか、なんでもいい。
でもできれば、無理なお願いをして、少しでもコミュニケーションの時間を稼ぎたい。視線を浴びたい。
ありもしないのに、「卵アレルギーなんだけど、お食事のメニューはどうなってるかしら?」とか、「頭痛がするんだけど、きまった鎮痛剤しか飲めなくて…。どうしたらいいかしら…」みたいな?カラダに差し障りのある話しの方がいい。
きっと懇切丁寧にパーサー道を極めてくれるに違いない。
はぁ…なんてステキな空の旅。夢見ごこちのひととき…。
言っておくが、そんな妄想をしてしまう私は決して熱烈な彼のファンではない。でもホレボレしちゃう。
日比谷線日比谷駅上りホームで堪能できます!!
あのポスターがアンドンにはいっていなければ、きっと貼っても貼っても飛ぶように盗まれたに違いないな。

| 未分類 | 14:21 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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傘をめぐる感性のギャップ

朝の陽射しはどこへやら。どんよりと曇っている。で、暖かい。なんだか妙な陽気である。
朝のうち雨が降るかもしれないという予報を真に受けて持ってきた傘も出番なし。ビニ傘だからいいんだけど…。
ビニ傘…。
うちの靴箱には、雨が降るたび相方が持ってくるビニ傘が5、6本ある。持ってきて持って出たためしがほとんどない。だからどんどん増える一方だ。
男の人ってビニ傘が好きよね。いや、好きなわけじゃないんだろうけど、「雨をしのぐだけの道具」だと思っているからビニ傘で何の問題もないわけだ。
でも女性と、身だしなみに気を遣う男性にとっては、傘だってオシャレアイテムのひとつといっていい。逢うたびにビニ傘を持っている女性は、すくなくとも私の周囲にはいないし、2、3本はストックしておいて、その日のいでたちに合わせて選んで持つのが普通だろう。

10年ほど前になるけれど、丸井で売ってたステキな傘に釘付けになり、色違いを取り寄せで買ったことがあった。大事に大事に使っていたある日、当時の夫とタクシーに乗り、傘を持って乗った夫が車内に置き忘れてきたことがあった。
はっと気付いたときには時すでに遅し。半べそになる私に彼はいった。
「なんだよ、傘くらいで」と。
近代化センターに連絡すればひょっとしたら戻ってきたかもしれなかったけれど、彼のひとことでその気力さえも失せた。
傘という持ち物に対して、自分への帰属性を感じない人にとっては「傘くらい」なわけだ。日頃ビニ傘でこと足りていて、どこに置いてこようと、誰かに間違ってもっていかれようと、また500円で買えばいい代物に、なんの執着もないのは仕方ない。
でも、あんたみたいな無頓着人間ばかりじゃないんだよ!ってことだ。あんたはあんただろうけど、私だって私なのだ!といえるものなら言いたかった(当時の私は結構殊勝だったんだな)。
そんなことをふと思い出しながら、ビニ傘を元気に振り振り、八重洲からの道を今朝もたったと歩いてきた。

たかが傘、されど傘。
ここまでピンキリな身の回り品ってあまりないんじゃないかな。
現在、お気に入りのバーバリーの傘のパーツが取れて、使えなくなっている。かの黒須さんはフリーマーケットでゲットしたバーバリーのコートのボタンが取れていることに気付き、ショップにいってボタンをもらったとかいってたっけ。そりゃあVAN創設者石津謙介の右腕の黒須さんだ。デキる店員なら顔を見ただけで「どーぞどーぞ」というだろう。
私の傘はどうしたものか。そもそもパーツは売っているのか?…
ビニ傘族にはこんな思案がそれこそバカみたいに思えるんだろうなぁ。

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射程距離だよ「フルムーンパス」

かつて上原謙と高峰三重子のCM起用が話題になったJRのフルムーンパス。あんなラブリーな熟年夫婦なんてあり得るのか?と、わけもなく鼻白んだものだ。どっちにしたってえらく遠い未来のことに思えたし。
そころが昨日、駅貼りポスターを見て「えぇー?」と思った。どうかんがえても、上原&高峰時代のフルムーンパス規定は改正されているはずだ。知らないうちに。
だって現在のそれは「ふたりあわせて88才以上から、JR全線グリーン車利用可能です」とうたっているのだ(昔はもっともっと制限年齢高かったんじゃないの?だって上原&高峰だよ?)
例えば私と相方の年齢合計はすでに81才なわけで、あと4年すれば、みごとフルムーン会員の資格を得られるわけだ。
まぁ「みごと」って言う程嬉しかない。40をちょっと越えたくらいでなにがフルムーンだよって感じだ、どっちかと言えば。フルムーンを気取るには、それ相応の貫禄とか余裕とか揺るぎなさとか落ち着きとかいう、これまでの充実した自身の、そしてふたりの歴史が彷佛とする何かがあって然るべきだ。どう想像しても「へっへっへー。うちらはフルムーンパスだもんねー」とかいって、グリーンチケットをピラピラさせている相方と私の絵が浮かぶ以上、なんだかおこがましい。例え後4年の月日が我々をわずかながら成長させたとしてもだ。
まぁいずれにしても、これは「夫婦であること」が大前提になっている。あと4年経った時相方といればいいが、何が起るかわからないのが人生。まかり間違って10も15も年下の坊やと夫婦していた日にゃあ、フルムーンパスゲットはうんと先延ばしに。
逆に○○才以上のおっさんと明日にでも結婚すれば、すぐにでも条件を満たせるわけだ。
どうあれ、寄り添ったふたりの歴史という宝物がない以上、
どうも「フルムーン」というワード自体が面映い。

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来年のカレンダーを買って

すっかりキャンプ付いている相方にせがまれて、新習志野のスポーツデポへ出かけた。
ところがびっくり。いつもあるはずの位置にキャンプ用品はまったく見当たらず、ウインタースポーツ一色になっているではないか。
そりゃあそうだ。こんな時期にキャンプに出かけるなんて、生まれつきの体内ヒーターを持っている人か、冬山登山者くらいのもの。週末のレジャー程度のキャンプは、もうとっくにオフシーズンだ。参った参った。
そうなると、もう何もするべきこともなく、ビールを引っ掛けて船橋に戻る。
LOFTで来年のカレンダーを物色。ホワイトボード付きのカレンダーをとりあえずゲット。年が明けるとドンと値が下がる替わりに、気の利いたデザインのものはほとんどが売り切れるから、これと思ったものは買っておいたほうが懸命。
クリスマスモチベーション一色だが、年賀状もたんと並んでいて、いよいよ今年もラストスパートだ。
年が明けると、今の会社に勤めて6年目に突入する。これまで5年以上ひとつの会社に勤めたことがないから、これは新記録。この先何年続くだろう。転職デッドラインはとっくに超えているから、もう次はないからな。会社がある限りは、い続けることになるのだろう。何かちょっと変わるといいんだけど。会社も私の日常も。

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やっと週末

先週末はキャンプ三昧だったから、とても久しぶりにゆっくりとした週末だ。
でも今朝は風が冷たい。冷たいだけじゃなくてかなり強い。
キャンプが今週じゃなくて本当によかった。風が強いとタープはあおられるわ、テーブルの上の雑多なものは飛ばされるわ、バーナーの火は消えるわ、うちみたいな5000円もしないテントじゃ、恐ろしくておちおち寝ていられない。よかったよかった。しかも先週は結果的に雨に降られなかった。この時期、最終日は一瞬ポツポツと来たものの、3日間にわたって晴天が続いたのはなんともありがたいこと。晴れ女の底力とまではいわないけどね。

今朝は久しぶりにホットケーキを焼いた。生協の全粒粉ホットケーキの素は、粉がやや茶色をしている。卵はいれずに水と牛乳でパンケーキ風に仕上げて、バターと砂糖で煮てシナモンシュガーを加えたリンゴをサンド。
メープルバターを塗ったものと2種類が完成。どちらも結構なお味。Cafe de Crieあたりには負けない味だね。

さてさて今日は共同購入したデロンギコンパクトヒーターが届く日。待ち遠しいなー。
使い心地はまた後ほど・・・。

ってことで使ってみました、コンパクトヒーター。
買った人たちは、みかけによらないパワフルさに感激していたけれど、いうほどのことはなし。コンパクトはやはりコンパクトなりのパワーだった。0度になると自動的にスイッチが入る機能が付いているけど、その前に凍えてるって。

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「曝した日記」で曝すわけ

日記でこれだけプライバシーを曝していったい何になる。
身内からの進言だ。
確かに。痛いところを突かれた。
私小説で、幼い頃の近親相姦や、アバズレ(死語か?)だった若かりし頃のことをネタに印税がっぽり稼いでいる人たちは多いけど、その小説の中で獣呼ばわりされた父親とか、輪姦しやがった男たちは、己の過去の過ちを世に曝されていったいどう感じているのだろうと、結構気になったりする。
幸い私の過去にも現在にも、そういう「拭い去ってロケットで月に捨てに行きたいほどの闇」は存在しないから、曝したところで高が知れてはいるのだが。
「いつも楽しみにしてるのよ」とか「日記読みましたよ。楽しかったんですね」なんていわれてばかりで、マイナス面をほとんど考えてもいなかったけれど、「楽しい」「おもろい」のはそれが私にとって他人であるからであって、身内にしてみればただでさえオッチョコチョイで突飛な私の生きざまを、わざわざ世界に向けて公開する必要もなかろうと、プライバシー保護含め助言してくれているのだとは思う。
ただね。
世の中の四方山話をイジって哲学するような文章を書くほうが、当り障りないし、自分が痛むこともないんだけど、いかんせん日記とは毎日書いてこそ日記であり(と思ってるし)、充実した内容のものを推敲を重ねているだけの時間がない。必然身の回りのあれこれを書き綴ってしまうわけだ。
かといって書くのをやめるわけにはいかない。
「曝した日記」を書くことは、すでに私の中の日課となっている。決められたお題目もなく、誰に校正されるわけでもない、一心不乱に書きなぐれることは実に幸せだ。ここで怒りや喜びや感動を文字に変えることが、メチャメチャ楽しいストレス発散方になってしまっているのだ。
うむ。しかしなぁ。なんだかこれから書きにくくなるナァ。暗黙のタガとでもいうのかな。私のことだから、多少のタガはあったほうがいいのかもしれないなぁ。タガは漢字で「箍」って書くのね。書けやしないし、読めもしない。
そういえば、やみくもに漢字を使うことは、読みやすい文章づくりではご法度(とまではいわないけど)だと、一番身近なライティングの師匠、akiさんから教わった。ますます漢字を忘れてしまうことが危惧されるけど、そもそも本屋で小説を手にとってパラパラっとめくったときに、漢字が行列しているだけで、確かに購買意欲は失せるものだ。内容がスチャラカな分、せめて読みやすい字面を心がけねばなぁ。

ところで我が社の定款には「出版」も掲げられている。
akiさんと私。いずれ「怪」と「愚」二本立てダブル出版なんつーことが実現すればいいな。
「怪」:akiさんお得意のおどろおどろしいタッチ恐い本。
「愚」:いわずもがなな私の本。

そんなわけで、毎日読みに来ていただいているみなさん。
みなさんは何が楽しくて毎日読みに来てくださっているのでしょう。忌憚のないご意見、聞かせてもらえませんでしょうか。
肥やしにしたいので、ぜひひとこと頼みます。

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「うちらのキャンプ」は変わります

何事も、経験することによって、何かを感じ、それによって感性が磨かれ、いわゆる常識に基づいた言動ができるようになる。こんな当たり前のことを、最近実感している。
今朝読み終えた『アルジャーノンに花束を』の、IQが60やそこらしかなかった主人公チャーリィーが、実験的手術によって天才的な知能を授かって、世界トップクラスの学者を凌ぐほどの研究や論文が書けるようになっても、感情や感性が相応に成長するには時間がかかったことからも(もっともこれはフィクションだけど)、経験が人を作リ上げることのおもしろさ、大切さを感じる。

個人的に言えば、今回のキャンプがそうだ。
大所帯でのキャンプだったことも原因しているけれど、撤収時に出たゴミの多さを嘆いたら、シュルケンさんや、いたるさんが反応してくれた。こういう人たちとキャンプができて嬉しいと思う。現状を問題視する感性を持ち、次への課題とする。そうしてみんなが楽しいキャンプになっていけば、それこそ「キャンプの達人」も夢じゃない。
前々回のキャンプあたりから、マイマグカップに続くマイ食器の必要性は感じていたものの、そうはいっても初心者のために紙皿を用意するのなら同じことだと、自分の中で適当にあしらってしまっていたことが悔やまれる。今回は人数の多さと、3日間という時間を考慮していつよもりも紙食器を買い込みすぎたことも、大量ゴミを作った原因だ。
「お客」と「裏方」が如実にわかれたと愚痴ったものの、その「客」を作り出したのは「寝袋だけ用意してくれれば、後は全部用意しまっせ」とアナウンスした、他でもない私だったのではないか。
「私たちのキャンプでは、紙食器は使いません。ゴミは各自で持ち帰りになります」といっておけば、何も考えずに参加する人がいたとしても何かが随分違っていたような気がする。
各自が自分で買った食器を用意すれば、食事の後の自分の皿の行方も気になるだろうし(洗う人だって出てくるだろう)、人の道具にだって気を遣う思いやりが生まれるはずだ。紙皿に紛れたのであろうたいたるさんのお皿も、捨てられずにすんだのだ。

キャンプデビューしてたかだか1.5年の私がいうのもおこがましいけれど、キャンプをするには資格がいると思う。他力本願な人間には不向きだ。というより端が迷惑だ。
シュルケンさんが言うように、それはまさに共同レクリエーションであるべきだし、それを大上段に掲げない限り、世話役の苦労はなくならない。できることは自分でやる。自分の身の回りのものは自分で用意する。そしてなにより自然と共存すべく、汚さない、散らかさない、無駄にしない。

のんびりと吹く風に身をゆだねたり、朝の澄んだ空気を胸一杯に吸い込んだり、流れ星を探したり、自然の恵みに舌鼓を打ったり…。そんなシンプルな、でも異次元な喜びをこれからもたんと味わいたい。

気が付いた人がいるかどうはか定かじゃないけど、去年の春のデビュー時に比べて、私のキャンプでの酒量はかなり減っている。早朝にテントから出た清清しさを二日酔いで迎えることがいかに虚しくて、もったいないかを悟ったからだ。

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実はマメじゃない私

昨日お風呂上りに、これでもか!の入念お手入れをしたお陰で、昨日よりはお肌や唇の荒れがかなりおさまっている。普段ろくにスキンケアしないから、たまにやって効果が表れるとなんだか気分がいい。
掃除にしてもそうだけど、私は目に見える結果がでないと何事も気合が入らないようだ。いつもマメに掃除しておけばいいのだけれど、結構汚れてしまってから一気にやって、見違えるようにキレイになった様を見るのが好きなのだ。
スキンケアにしても同じなのかも。
普段さしてトラブルがないのをいいことに、ダブル洗顔後に生協で買った尿素入り化粧水をパシャパシャつけるだけだ。ちょっとかさついたときだけAVONの美容液をつける。何年か前、えらく気になった目の下のシミは、SK-Ⅱのホワイトニングローションの試供品で治まったし、今年の夏は資生堂のホワイトニングスポッツをつけていたせいか、ほとんど目立たなくなった。出るまでに7年かかるっていうから侮れないけど。
鼻の頭のコメド取りパックも、たまにしかやらない。たまにやるからこそ、キャベツ葉についた蝶々の卵みたいにどっとコメドが取れて感動する。
でも、そんな私ももう40過ぎだ。先週リンクルケア用エッセンスを初めて買ってしまった。とうとうシワ対策が必要になっちゃった。どんと老けた気分。
巷の女性はもっと早くからいろんなケアをしているんだろうな。効果的なローションパッティングは年齢の3倍やるとかいう説もあるけど、そんなご丁寧なことを朝晩欠かさずやってる人もいるのかと思うと、呆れと尊敬が混ざった妙な思いがする。

話しは変わるけど、寒くなってくるとうちのオフィスは静電気がものすごい。金属のエレクターの棚に囲まれた席から立ち上がっただけで、バチバチと静電気が発生する。寒くてフリースのブランケットを膝に掛けたりしているから尚更だ。
akiさん曰く、静電気が置きやすい人はプラスイオンをたくさん帯電してるから、風邪やらなんやらの悪いウイルスもひきつけやすく、つまりは「具合の悪い人」らしい。
今の私は立派に具合の悪い人だ。帰って寝なくちゃだ。風邪を引くのも時間の問題ってことだ。風邪薬買っとかなくちゃ。

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カヌキャン2日目

キャンプ二日目。今日も晴天。
朝は生協で買っておいたトルティーヤを炭火であぶり、ウインナーや野菜をはさんで食べる。さらにベーコンエッグもダッチの蓋で焼いてみた。ふちのほうにベーコンをぐるりと乗せておくと、解け出た油が中央のややへこんだ部分に集まってくる。ここに卵を割り落とすという按配。カリカリのベーコンがかなりいい感じ。

午前中、今日で帰る人たち中心のチームが下った後、いよいよスタート。今年は、去年akiさんのカヌーに乗って沈の憂き目にあったアワワと相方と乗ることに。去年の実績を買われて舵取り役をおおせつかった。今年は去年よりも1ヶ月近く時期が遅いけれど、水かさがかなり減っていた。いたるところに突如浅瀬が現れ、ガガガっと船底が当たる。当たるだけならいいのだけれど、昨年akiさんがまさに沈した地点で、底が浅瀬にひっかかり前後逆のまま早い流れに流されそうになる危機一髪シーンがあった。すかさずカヌーから降りて、悲鳴を上げるアワワが乗ったままのボートを引っ張り戻し方向を変え、すんでのところでリカバリーした。思い出しただ
けでも血が騒ぐ。はぁ怖かった。
その後もシュルケンチームが横から激突してきて、舳先がこちらのボートに乗り上げるスリリングシーンもあったけれど、どれも力技でクリアして無事着岸。結局今年は誰一人として沈せずに川くだりを終えることができた。穏やかな陽射しが暖かくて、カヌーの上での恒例乾杯もできたしね。いやよかったよかった。

午前中川下りをした連中のほとんどが一泊で撤収したから、夜はなんだか閑散とした感じ。結局のところ一番活躍していたベーシックな七輪も、主と共に撤収されていたし。
今夜の夕食は、豚汁ならぬ鶏汁、鶏の生姜焼、焼鳥、帆立ときのこのソテーと、なんだか鶏尽くしで、相方にはちょっと気の毒だったけど仕方あるまい。友部SAで買った新米も上手に炊けて、今日はゆっくりたっぷりの夕食だった。はやり佐藤シェフとふたりで切り盛りするには、37人は厳しすぎるってことだ。予定通り3班くらいにわけて、みんなで食事の準備をしてもらうべきだった。

昨日の極寒を教訓に、この日の就寝スタイルはというと、
ノースフェース登山用スパッツ、綿入りオーバーパンツ、アンダーシャツ、ハイネックシャツ、フリース、ロングコート。さらに背中、腰、足先、太ももに計6枚のホカロンを貼った。寒さ知らずで朝まで爆睡。前日の睡眠不足分をクリアできた。

両日とも晴天で、空にはこぼれ落ちそうな星が。カシオペアもきれいに見える。シュルケンさんは流れ星を見たそうな。ちょっと空を見上げていればいくらでも見られそうな星空だった。

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カヌキャン1日目

キャンプ1日目。柏インターに向かう16号の渋滞で、予定より30分遅れでみんなと合流。買出を済ませて現地入りしたときは、もう夕陽が傾きかけていた。
今回は自分至上最大の37人キャンプ。メニューがなかなか決められなかったのも、買出しリストがいつまでたってもまとめられなかったのも、ひとえにこの大所帯ゆえだ。
スーパーのカート4台分の食材を目の当たりにしたところで、すでにこの日のバッテリーは切れそうだった。
でもこの日ダッチオーブンで作った「ポット・ロースト」は、またまた私をダッチのとりこにした。
豚肩ロースの塊肉とミルポワを軽く焼いて、ブーケガルニと白ワインで煮詰めるだけ。肉と野菜を取り除いたスープに粒胡椒とバターを加えたソースを、スライスした肉にかけていただくのだ。あっという間に肉ははけ、残ったソースをみんながパンですくって食べていた。うれしいね。
あのスーパーに豚肩ロースがもう少しあれば、もっとたくさん作れたのに、ちょっと残念。

しかしだ。
キャンプに慣れない人が多ければ多いほど、「客」と「裏方」との線引きが露になるものだ。
「何をすればいいのかわからず何もしない人」と「端から手伝う気などない人」たちのために、せっせと料理を作っているような気さえして、ちょっとばかりアホらしくなったのも事実。ダッチの面白さも堪能できたし、来年は涼しくなるまではシンプル&イージーなキャンプにシフトしよう。

まぁそんなことはどうでもいいんだけど、何が辛かったって1日目の夜の冷え込みだ。
テントに降りた霜が氷りついているのにビビりながら、スキー用スパッツ、Gパン、アンダーシャツ、ヒートテックハイネックシャツ、フリースジャケットで寝袋に入っても体はまったく温まらず、とうとう綿入りのロングコートまで着たものの、結局寒さで眠れぬうちに朝になった。3シーズンもののシュラフではもう限界ギリギリの気温ってことだ。もちろんもう今年のキャンプは最後だけど、なかなか体験できない凍えた夜だった。

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またまたいつもの日常へ

もうわかりきっていることなんだけど、レジャーイベントの期間が長ければ長いほど、楽しければ楽しかった分だけ、日常に引き戻されることへの抵抗感が強い。
キャンプ場では早起きできても、なぜか布団から抜け出すには相変わらず時間がかかるし、スッピンで通したために化粧した顔がなんだか見慣れない。たった3日でこうなんだから、なんかの事情で早起きしてシュラフを干して洗濯をしてきた。
それでもまだ干すスペースがないために、洗うことができなかった洗濯物が2回分ほど残っている。道具類のメンテンスを含めると、キャンプが完全に終わるには、1週間はかかるってことだ。やれやれ。
今回もカナディアンカヌーでも、シンガリの舵取りを担当したので、腕の筋肉痛を懸念したけれど、帰りがけのお風呂が効いたのか、ほとんど痛みはない…それともこれから襲ってくるってこと?

昨日の巨人の銀座パレードがものすごい盛り上がりだったこともなんにも知らなかったし、寒さと炊事でカサカサになった手肌もまだ復活しないけど、アウトドアの非日常生活の余韻が逆に心地よかったりしている。やっぱりキャンプは楽しい。

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ボランティアなキャンプ

今年の那珂川カヌーキャンプも無事終了。
近くのお風呂に寄って20時ごろ帰着した。
土日の日記は後日書くとして、とりあえず総評?をば。

ただキャンプ場にいって呑んで食べて寝て…というキャンプと違って、カヌキャンはあわただしい。あわただしい上に、初心者だらけの大所帯。裏方はマネジメント料をもらいたいくらいの予想をはるかに超える重労働となった。
カヌーはただでさえ準備に時間がかかる遊びだ。キャンプ場から上流のスタート地点にカヌーと人を運び、ゴール地点にまたピックアップ用にクルマをスタンバイさせないとならない。その準備だけでも1、2時間が過ぎてしまう。今回は総勢30人を越す参加者だったため、午前と午後に分かれての川下りだったのだが、責任者として通しでアテンドしたakiさんは、とうとう昼ご飯を食べ損ね、焼きあゆを買い食いして凌いでいた。なんとも気の毒。まるでカヌー屋のスタッフみたいだ。言いだしっぺとはいえ、帰り道の友部インターのレストランで「もう二度とやりません」と思わず吐いた台詞を、たとえ冗談にせよ誰も責めることはできまい。
同じように、2泊3日の工程中の食事をすべて切り盛りした佐藤シェフならびに私だって、もうこんなに大人数のキャンプは御免こうむりたいというのが、意見の一致するところ。
キャンプ慣れした連中と、思いついたように行くのが一番だ。

それと今回すごくつくづく反省させられたのはゴミの多さ。
マグカップの持参はなんとか浸透していたものの、食器類はほとんど使い捨てで済ませたため、撤収時のゴミの量はそれぞれのクルマに分散しても、かろうじてなんとか積み込める程の膨大な量になってしまった。空き缶を潰して捨てることにも無頓着。分別もともすると正しくできていない。後片付けの大変さを理解していないと、一挙手一投足がいい加減になる。事前にみなに啓蒙する余裕がなかった点は、かなり失敗。1泊で帰ってしまったほぼ半数の人たちは、キャンプの「楽」を見て「苦」を知らず…。そう皮肉を言いたいくらいに、撤収は難儀だった。うちの玄関先には、ゴミ袋2つ分の空き瓶と、空き缶一袋がゴミ収集日を待っている。生ゴミを積んで帰った車はさぞ辛かったろう。

次回のキャンプからは、紙食器類の使用を自粛することを心がけたいものだ。参加者には寝袋に加え、カップ、スプーン・フォーク、器、皿持参を最低条件としたい。
今年最後かつ自分至上最大級のキャンプは学ぶところの多いものだった。

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