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なおねおなおん -naoneonaon-

いつか振り返る日のためのワタシメモ

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なおニン恋愛道 いろはの「ろ」

恋愛道いろはの「ろ」を書こうと思っているのだが、これがなかなかまとまらない。このところ恋愛で悩んでいない証拠だ。百戦錬磨と人は言うけれど、決してかれた気はしない。百戦玉砕?いやいや今思えばどれひとつとっても無駄だった恋はない。出会わなければ良かったと思うような人もいない。すべての恋の挙句の今の私だ。

で、「ろ」だけど、ひとくちにいうと、見てみぬ振りは大切ってことと、期待しすぎるなってことかな。なんだか開きなおりな捨て鉢風に聞こえるかもしれないけれど。
非常に残念なことだけど、恋する瞳に相手のボロは見えない。例えブサイクな相手だろうと、琴線に触れる輝かしい魅力に惚れてしまう。魅力の脇から少しくらいのボロが例え見えても、我慢できると思ってしまう。
ところが時が過ぎ、当初の輝きが濁り始める。そんな人だったんだ…、ってことになる。ここでこのボロが許容範囲を超えているのなら話は早い。別れちゃえばいい。自分の見る目のなさを認識し、明日からの恋愛の肥しにできただけで、惚れた甲斐があったと思えばいい。
でも別れるほどには至らない、つまりは例え親友に軽く相談しても『そんなことで悩んでたら、誰とも付き合えないじゃん!』くらいのひとことで片付けられそうな程度のボロやガッカリだとたちが悪い。第三者には大したことじゃなくても、当事者にとっては気になることほど命取りになりやすい。ちょっとずつ延々と気になりつづけるからだ。
裏切りや侮辱といった人格を否定しかねないこと以外は、「あれあれ、また始まったのね」と、見てみぬふりをすることが肝心だろう。
期待しすぎないということについては、ちょっと難しい。
相手に対して一生懸命なときほど、自分がこれだけやっているのに…と思いがちだ。一生懸命であることは決して悪いことではないわけで、要は「程度」と「種類」の問題だ。一生懸命の方向性を間違うと、相手にとってはただのウザさにしかならない。相手は自分とは違う形や方法で愛情表現してくれているのかもしれないのだから、すべてが自分の期待した通りのスタイルにならないからといって、失望したりガッカリする必要はない。
思いがけない形で相手の愛情の深さを感じたりすると、逆にかなり幸せだったりすることもあるのだ。

なんてことを偉そうに書いてはいるが、私もつまらないことを気にしていることがある。特に昔付き合って嫌になった相手と同じことを相方がやったときには本当にガッカリした。ショックだった。こんな理由で相方を責めても理不尽と思い、何度か我慢したあとそれでもやっぱり言ってしまったけれど、
「それ、いやなんだよね」って。

これ以上続けると、いろはの「は」になっちゃいそうなので、また次回(←まだやる気)。

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