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なおねおなおん -naoneonaon-

いつか振り返る日のためのワタシメモ

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BRUNO閉店に思う

私が唯一ひとりで飲みにいける店『E.O.BRUNO』が閉店した。
オーナーでありマスターの三谷さんの本業(彼は一級建築士である)が多忙を極め、草鞋を一足脱がざるを得なくなったわけだ。
BRUNOの前身である『BOX』が新宿厚生年金会館の隣りの古いビルの地下にできたのは、もう10年以上前だ。通っていた私が新妻だった記憶がある。鰻の寝床のように縦に長い店で、そのスペースにあわせた10Mはあろうかという黒くて長いテーブルに、マッキントッシュ風ハイバックチェアをずらりと並べたモダンなインテリアだった。その頃からマヤちゃんはそこにいて、三谷さんとの絶妙なコンビネーションを見せていた。
その後、店を今の場所に移してBRUNOができた。三谷さんらしいシンプルでシックでほんの少しスノッブな内装に、存在感のあるアンティークテーブルがよくあっていた。誰を連れて行っても「落ち着く」と気にいられたし、カテゴリーをこえた「旨いもの」ラインアップは飽きることがなかった。中でも三谷さん自身が毎日3時ごろから仕込む手作り餃子は試行錯誤の末看板メニューとなり、店名も堂々『ギョウザBAR』を名乗るに至る。
BRUNOの個性をもう一つ際立たせているのは、決して広いとはいえない店の壁面を使っての『ギャラリー』だった。カメラマン、イラストレーター、デザイナーなどに無料で個展スペースを提供したのだ。オープニングパーティーでもやって客を呼んでくれれば、特にレンタルスペース料なんていらないよ、というわけ。私の知り合いも何人か個展を開いた。壁面の額ひとつで、店の雰囲気がガラっと変わるおもしろさに感動したりもした。
だからBRUNOは客層がよかった。すぐ裏にはあの新宿2丁目がどっかりと控えているにもかかわらず妙な客はこなかったし、個展のお陰も手伝ってなにしろクリエイターが多かった。あそこで出会った人といっしょに仕事をしたことも何度かあった。あとは三谷さんがらみのゼネコン、建築家、出版社、ゴルフ関係などなど。客が客を呼んで音楽家もいたっけ…。
BRUNOで知り合った男と恋に落ちかけたこともあった。
何度かデートを繰り返し、その気になりかけたところで、すとーんとはしごをはずされた。悔し涙はもちろんBRUNOで流した。マヤちゃんがカウンターに出してくれた箱ティッシュを抱えて、これも彼女が出してくれたどんぶりが涙を含んだティッシュで山盛りになるまで泣いたらケロっと忘れられた。

私がまだ荻窪に住んでいた頃は、ときどき三谷さんの代理でカウンターに入ることがあった。仕事中に電話が入り『今日これない?』とオファーがあるのだ。今日の今日じゃ困るというと、遅くても前日に連絡がくるようになった。すかさず飲んだくれ連中に『今日ママやります』と連絡メールを送ると、何人かが駆けつけてくれ、私の拙いママ業を見守ってくれたのだ。船橋に越してからは、時間的に厳しいことも会ってオファーはなくなった。閉店せざるを得ない状況を思うと、店やらない?と何度か冗談まじりにいわれたのは、まんざらまったくの冗談じゃなかったのかもしれない。なにしろ残念だ。遠くなったのを理由に、すっかり足が遠のいていたことも、悔やまれる。

ひとりで飲みにいける店がなくなってしまった、ということだけじゃなく、慣れ親しんだ店がなくなるというのがこんなに寂しいものだとは思ってもみなかった。これからは三谷さんに会うのも、いちいち約束をして、場所を決めてという手順をふまなくてはならなくなった。ちょっと飲み会やる?ってときも、店探しをしなくてはならない。
やれやれ。
脱サラして飲食店やってくれる人、いないだろうか…。
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